10月2日 第 4 回
本日は快晴。粟ケ池共園の花梨も実り、コブシの実が色づきました。
受講生も次々と登校して
先ずは検温。チョット緊張してしてますか?
各班ごとに座りましょう。座席ゾーンは毎回変わります。
早く来た人からお好きな所へ
一つの机に一人ずつ、ゆったりしてます。
豪華なお部屋です。元は結婚式場の披露宴会場でした。
午 前 の 部
古市・百舌鳥古墳群
松原市社会教育委員長
西田 孝司 講師
世界遺産登録では「百舌鳥・古市古墳群」となっております。
堺市が主体で世界遺産登録を進めたからそうなった。等々いろいろな訳あり?
私たち古市エリア住民は「古市・百舌鳥古墳」とよびます。地元びいき?
全国に古墳は約16万基、その内世界遺産登録は 百舌鳥エリア23基21件、古市エリア26基24件です。
現在の古墳は緑に囲まれてますが当初、樹木は
全く有りませんでした。
江戸中期の絵図でも雑木が少し茂っている程度でした。
尊王思想が高まった幕末から明治期、日本書紀の
記述などを参考に各地の巨大古墳は陵墓に指定されて
いった。
指定を受けた仁徳天皇陵古墳では明治中期、
松や杉など常緑樹。 19万本の苗木が植樹された。
ほかの古墳でも同じように植樹されたと思われる。
神をまつる荘厳な雰囲気を演出したのではないでしょうか?
午 後 の 部
倭の五王
大阪国際大学教授
笠井 敏光 講師
3世紀半ばごろ 卑弥呼が中国へ使いを送って以来途絶えていたが
5世紀初め頃から 中国南朝へ再度遣使を送った。「宋書」倭国伝等により確認されている。
倭の五王とは?
讃・・・履中天皇
珍・・・反正天皇
済・・・允恭天皇
興・・・安康天皇
武・・・雄略天皇
宋の武帝、倭讃の万里修貢をほめ、除授を賜う
(「宋書」倭国伝)
このように記録されている。
大将軍、将軍等々「宋官品」を賜った。
今の日本がアメリカ詣でをするように
1600年前は中国詣でをしていたようだ。