令和3年3月12日 金曜日 曇りのち雨
午後の部(PM 12時50分~15時10分)
DRから本日の内容と今後の予定などの説明をうける。
・場所 富田林市民会館大会議室
・講座 「明応2年御陣図」からみた中世後期の河内地域
・講師 大阪市立大学大学院文学研究科 三原 大史 様
● 富田林市出身で河内地域を中心に本人の研究の中から畠山氏の内紛・古絵図・河内の今昔などの
説明をしていただきました。
1. 室町時代の河内地域
河内の国は1382年守護畠山氏となる。長年世襲が続いたが内紛により頭領の交代は余儀なく
された。
2.「正覚寺の戦い」明応2年(1493年) 足利将軍の廃位・擁立事件
将軍(8代~11代)の交代が続いた。
明応の政変は羽曳野市・藤井寺市などで戦いがあった。
畠山氏はその影響で再度内紛が起こり、基家氏が河内守護に任命される。
3. 明応2年御陣図 古い白黒の絵図検討
正覚寺の戦い・地名・川・橋(長方形??)などが描かれている御陣図
地名の一部
にしの浦(西浦)・若井(若江)・森口(守口)・軽墓(軽里)・ゆきのみや(雪宮城)・・・白鳥神社!!
4. 河内の国、交通路大きく変化し発展
南北方向は東高野街道・熊野街道
東西方向は長尾街道・竹之内街道・龍田路
長方形の記号については、渡し場(舟の乗り場)・川の駅・渡し船・橋なのか今後の研究課題である。
いろいろ説明をしていただき地域の名称がでてきて非常に興味を持って拝聴しました。
終了後、班長会議が開催され教室としてはこれで終了しました。
いよいよ来週で修了式です。コロナに負けず頑張りましょう。
お疲れ様でした。