9月18日 第 2 回
さあ! 今日から初めての授業です。
登校すると、コロナ対策委員の方がアルコ-ル消毒、検温、マスク着用の確認
などをしていただき、OKならば教室に入場できます。
3人用のデスクに一人です。
これで安心です。
DRから本日の授業内容などの説明を受けて授業が始まります。
午 前 の 部
テ-マ- 石上露子と高貴寺
講師 歴史研究家 中辻 亘
( イソノカミ ツユコ)
富田林で生まれた女流作家 石上露子の一生涯の話です。
露子の一生は美貌・才能・また恵まれた生家(寺内町の大富豪)であるが
「幸せ」であったか?
生涯むしろ恵まれない人生を過ごしたのではないのか。
ただ歌人としては「与謝野晶子」と並び決して怠らない才能であった。
富田林寺内町の大地主杉山家に生まれる。(明治15年(1882年生)~昭和34年(1959年死去))
12歳:母が実家に去る。
13歳:女学校に進学するも暫くして転校・退学して自宅に戻る。
18歳:東京見物に行き「長田正平」と知り合う。その後長田正平と交際するも、明治の時代では2人の結婚は許されなかった。
19歳:「宵暗」を投稿。 24歳:「長田正平」と結ばれなかった切ない気持ちを詩として【小板橋】につづった。
石上 露子(富田林市教育委員会提供)
小板橋:長田正平を思い詩を書く
小板橋:富田林の石川に架かる橋
【小板橋】:「明星」明治39年12月号に「ゆふちどり」の名で掲載される。
明治39年12月17日: 片山荘平(奈良県出身)と結婚:
長田正平は一生結婚せず海外で一生を終えたようだ。
(現在であれば、2人は結ばれ幸せな一生だったろう。 生まれた時代が悪すぎた)
露子が77歳で死去したが本来ならば、寺内町の寺院にお墓を持つべきだろうに、何故か高貴寺を選んだ。
高貴寺は大阪府南河内郡河南町平石にある。
長田正平との結婚に反対され富田林を離れたかったのだろうか?
昼の休憩時間風景
教室で食事をする人、外で食事をする人
様々ですが皆さん教室内ではマスクを付けられて
ソ-シャルディスタンスが守られております。
さすが皆さん気を付けて教室に来ているのですね。
午 後 の 部
テ-マ- 戦国時代の南河内・高屋城
講師 大阪市立大学大学院 教授 仁木 宏
仁木先生は、マスクでなく「フェ-ス シ-ルド」装着されて
講義を始めます。
先生はこちらの方が慣れていらっしゃるのかな・・・
戦国時代、南河内の中心となった場所はどこか。 これから始まります。
中心地は 古市・国分・道明寺当たりだったようです。
古市周辺は、昔から竹内街道・東高野街道・長尾街道が通じており要所であった。
そのため古市にある、安閑天皇陵を高屋城として居を構えたようだ。
ただ現在では城として現存するものは殆どない。周辺は住宅地として開発されてしまったためです。
武将 信長は高屋城を攻める際に先ずは古市の町を焼け野原にしたようです。信長の常套手段のようですね
相手側の戦意を喪失させる手法だったのか?
今は殆ど跡形がないようだが、昔から栄えたまちを散策するのもいいのじゃないでしょうか。
世界遺産:百舌鳥・古市古墳群が至る所にあります。気候も良くなってきたので、先生の話、地図などを見ながら
当時を思いおこすことができるやも
NHKの大河ドラマで取り上げてくればいいのだが。
町を知るには歴史から知ることから始まるのが一番手短なようです。
現在の町は自然発生したものでなく、必ず何らからの理由があり、その理由を解き明かす
醍醐味が歴史にある。(DRからの受け売りです)
その通りですね!まだまだこれからも歴史の講義があると思います。しっかりと勉強していきましょう。